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樋田淳也被告が48日間の逃走の末、確保された道の駅「ソレーネ周南」!

樋田淳也被告が48日間の逃走の末、確保された道の駅「ソレーネ周南」!

こんにちは。まゆりんです。

樋田淳也(ひだじゅんや)被告は2018年8月12日夜、勾留されていた-富田林警察署から逃走し、48日間にわたって世間を騒がせました。

富田林警察署の面会室は鍵がかけられていなくて、ドアが開いた際に鳴るはずのブザーも電池が外されていて、ずさんな警備体制が批判を浴びました。

 

樋田淳也被告の控訴審判決で大阪高裁は1審、大阪地裁堺支部での判決、懲役17年を支持!

大阪府警富田林署で勾留中に逃げ、強制わいせつや強盗傷害、加重逃走の罪に問われた樋田淳也被告の公判が2020年6月23日大阪地裁堺支部で行われました。

検察側は「犯行は悪質で被告は反省していない。刑事責任は重大だ」と指摘しました。

弁護側は「計画的に逃走したわけではない」などと情状酌量を求め、樋田被告は「被害を弁済し、二度と犯罪をしない生活を送る」と述べました。

検察側が懲役18年を求刑し、結審し、安永武央裁判長によっては2020年7月3日に「懲役17年」の判決を下しました。

樋田淳也被告の控訴審判決で大阪高裁は1審、大阪地裁堺支部での判決、懲役17年を支持し、2021年7月5日被告側の控訴を棄却しました。

長井秀典裁判長は、「1審の判断に不合理な点はない」と述べました。  

判決によると樋田被告は2018年8月12日夜、富田林署で弁護士との接見後に面会室の仕切り板を壊して逃走し、盗んだ自転車で日本一周の旅行者を装い、各地で万引きを繰り返し48日間逃亡生活を続けました。  

樋田被告は計21件の事件で起訴され、地裁堺支部はうち20件を有罪とし、逃走事件前に関わったとされた1件の窃盗罪は無罪が確定しました。

 

強制わいせつや強盗傷害、加重逃走などの罪で懲役17年の判決が確定!

弁護側は起訴された21の事件のほとんどについて無罪を主張し、警察署からの加重逃走についても「間仕切りを破壊したのは別の見知らぬ男だった」と主張しました。
1審は、1件のひったくりを除いて有罪と判断し、「女性を標的に金銭欲と性欲の赴くまま犯行に及んでいて悪質だ。」「さらに1か月半にわたって逃亡して社会に不安を与え、逃亡中にも罪を重ねた」と指摘して、懲役17年を言い渡しました。
2審も同じ判断をしたため、被告側が上告していましたが、最高裁判所第2小法廷の草野耕一 裁判長は、2022年3月28日までに上告を退ける決定をし、強制わいせつや強盗傷害、それに加重逃走などの罪で懲役17年の判決が確定しました。

 

樋田淳也被告が48日間の逃走の末、確保された道の駅「ソレーネ周南」!

大阪府警の延べ15万人もの捜査の網をかいくぐり、48日間の逃走の末、身柄が確保されたのは大阪から400km以上離れた山口・周南市の「道の駅」。

 

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樋田淳也被告は、餅やパンや総菜など5点を服の下に入れ、出口から出てきたところを、警備員に発見され、警察に身柄が引き渡されました。

たまたま引き渡された万引き犯が樋田淳也被告だったのです。

 

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ななんと、樋田淳也被告は、自転車で日本一周中の旅行者に成りすまし、中国・四国地方など各地を転々としていたのです。

 

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逃走期間の長さもさることながら、自転車で日本一周する旅行者に化けるという奇想天外な方法で警察の目を逃れるなんて今までにない犯罪者でした。

 

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樋田淳也被告は、加重逃走罪などで起訴されましたが、逮捕に貢献したとして、大阪府警は、2018年10月23日、山口県周南市の道の駅「ソレーネ周南」を運営する一般社団法人「周南ツーリズム協議会」に感謝状を贈りました。

「ソレーネ周南」は、国道2号線沿いにあり、コンビニエンスストアや飲食店などがあり、近くには消防署や郵便局などがあります。

 

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山口県といえば瓦そば(かわらそば)!

山口県といえば瓦そば(かわらそば)を思い浮かべる人が多いのではないでしょうか?

 

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長州屋 湯田店の名物店主が「山口内外にその魅力を伝える」ことをモットーに切り盛りしています。

 

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流通コンサルタントや水産・食肉加工業で培った繋がりを元に、山口県産の食材が一堂に集結しています。

 

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瓦そばは、もちろんのこと、仙崎港直送の魚介や有機野菜、挽きたての「長州どり」、農林水産大臣賞受賞の「竹炭製法のどぐろ一夜干」、「百姓庵の塩」をはじめとした、数々の銘品を使い新たなメニューを開発しました。

 

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やまぐち美食コレクションで総合優勝した『百姓庵の塩から揚げ』や、B級グルメN1グランプリで連続優勝した『長州ころころ丼』など、人気のメニューでもてなしてくれます。

 

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長州屋 湯田店の玄関の鬼がとても可愛らしかったです。

 

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長州屋 湯田店へ入り、瓦そばを食べてみた!

私は初めて、長州屋 湯田店へ入り、瓦そばを食べてみました。

 

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瓦そばは、山口県下関市豊浦町発祥の麺料理で、熱した瓦の上に茶そばと具材を載せて、温かいめんつゆで食べる料理なんです。

 

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瓦そばって、山口県内では、広く家庭でも愛され、家庭向けに蒸した茶そばとつゆのセットがスーパーマーケットなどで売られています。

瓦そばは、家庭でも調理されることもありますが、なかなか本格的な瓦に載せて食べることは少なく、ホットプレートやフライパンで作ることができます。

 

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長州屋 湯田店の瓦そばは、たいへん美味しかったのでペロッと食べてしまいました。

 

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山口県といえば山口サビエル記念聖堂!

山口県といえば山口サビエル記念聖堂を思い浮かべる方が多いのではないでしょうか?

私は、山口サビエル記念聖堂へ行きました。

 

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フランシスコ・ザビエルの来日(山口での布教活動)400年記念として1952年(昭和27年)に建てられました。

 

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初代の聖堂は、ザビエルの生家で、スペインのナバーラ州パンプローナ近郊にあるザビエル城を模して建てられたもの(パンプローナ市は1980年に山口市姉妹都市提携を結んでいる)で、市民にも広く親しまれていました。

 

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でも、1991年(平成3年)9月5日に失火により全焼。サビエル記念聖堂の所有者であるイエズス会より多くの資金援助を受け、更に、種々の教会関係機関、山口信徒、ならびに山口市民、全国から寄せられた善意の募金により1998年(平成10年)4月29日に再建されました。

 

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再建された聖堂は、イタリア人神父のコンスタンチノ・ルッジェリと建築家ルイジ・レオニのデザインによるもので、高さ53mの2本の塔とテントを模した大きな屋根が全体を覆う構造をもちますが、これについては「神が私たちと一緒におられるしるしとして、教会の形をテント(幕屋)にし」「二つの塔が天にのびることによって、サビエルを記念するだけではなく、現代の人々に神様のことを強く思い出させる形」を意識したものなんです。

 

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この構造はカトリック教会の伝統的な建築様式と比してかなり斬新なものであった。初代聖堂の面影をほとんど残すことなく再建された聖堂は、当初、従前の聖堂の姿に慣れ親しんできた市民からの異論を引き起こしました。

 

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でも、2本の尖塔をもつ白色の教会堂は緑豊かな風景に違和感なく調和しているので、現在では山口市民の憩いの場として親しまれ、山口を代表する観光地として定着しています。 

 

 

 

山口県といえば中原中也記念館!

山口県といえば中原中也記念館を思い浮かべる人が多いのではないでしょうか?

私は、中原中也記念館へ行きました。

日本の近代文学史に大きな足跡を残し、今なお多くの人を魅了し続けている抒情詩人・中原中也は、1907年(明治40年)、現在の山口県山口市湯田温泉の医者の家に生まれました。

 

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本人最後の出版物となった『在りし日の歌』は彼が死ぬ1か月前に原稿の清書を終えたもので、中原中也は30年の生涯で350篇以上の詩を残しました。

 

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山口県といえば温泉舎・湯の川!

山口県といえば湯田温泉(ゆだおんせん)を思い浮かべる人が多いのではないでしょうか?

 

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湯田温泉(ゆだおんせん)とは、山口県山口市(旧国周防国)にある温泉なんです。

 

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私は、温泉舎・湯の川へ行き、足湯を楽しみました。 

 

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まとめ

最高裁判所第2小法廷の草野耕一 裁判長は、2022年3月28日までに上告を退ける決定をし、強制わいせつや強盗傷害、それに加重逃走などの罪で懲役17年の判決が確定しました。

樋田淳也被告は、大阪府松原市に生まれ育ち小学校、中学校まで松原市に住んでいて、ボーイスカウトをするなど、活発な一面も見せていたようです。

樋田淳也被告が10代後半のころに市役所勤務だった父親が亡くなり、徐々に悪い道へと進んで行ってしまったと言われています。