- 春になると東日本大震災間もなくの宮城県仙台市を思い出す!
- 2011年3月11日に発生した東日本大震災の影響!
- 東日本大震災後の榴ヶ岡公園(つつじがおかこうえん)!
- 東日本大震災後の榴ヶ岡天満宮(つつじがおかてんまんぐう)!
- 株式会社東日本大震災事業者再生支援機構!
- 復興への長い道のりを覚悟しながらも、 必死にがんばっています!
- まとめ
春になると東日本大震災間もなくの宮城県仙台市を思い出す!
こんにちは。まゆりんです。
2021年のソメイヨシノの開花は3月18日(木)開花予想の東京を皮切りに全国的に平年よりも早いところが多いと予想されています。
3月末までに西日本や東日本の各地で開花し、4月上旬に北陸や長野、東北南部、北海道にも4月下旬に桜前線が上陸すると見られています。
仙台市では、2021年4月1日から開花する予定です。
2011年3月11日に発生した東日本大震災の影響!
私は2011年4月中旬まで、夫と宮城県仙台市で暮らしていました。
夫の会社員時代は転勤族で東京→北海道→宮城県→鳥取県→和歌山県と転勤になりました。
当時の私は仙台市内で会社員をしていましたが夫の転勤についていくため退職することになりました。
私が勤務していた会社はとても働きやすくできることならずっと勤めたかったのですが、鳥取県倉吉市へ引っ越すことになり、2011年4月中旬に退職しました。
2011年3月11日に発生した東日本大震災の影響で、当時住んでいた夫の社宅付近では電気と水道が復旧しているものの、ガスが使用できず電化製品を利用し、料理を作るなど大変でした。
幸いなことに夫の社宅は問題ありませんでしたが家が倒壊し、着の身着のまま避難所から通勤している社員もたくさんいました。
私が勤務していた会社では大変な時期なのに、みんな明るく元気に仕事に取り掛かっていたのが不幸中の幸いでした。
東日本大震災後は食料全体が供給不足に陥り、困窮している人がたくさんいたので、私が勤務している会社では社員がおにぎりやカレーライスや親子丼を作ってくれました。
本当に良い会社に勤めることができて良かったです。
いろいろと不便でしたが心温まる体験ができて毎日出社するのが楽しかったです。
避難所にいれば何もしなくても3食きちんともらえますが、ずっと避難所暮らしはできないのでみんな引越資金を稼ぐために頑張って働いていました。
私が勤務していた会社では交通状況が悪く通勤が困難な人やライフラインが復旧せず疲労困憊した人や家が倒壊して憔悴し、働く意欲がない人など理由はさまざまですが50人程が退職または休職しました。
そのため私が勤務していた会社では人手不足になり50人募集しました。
勤めている会社が倒壊して、働きたくても働けないなどさまざまな事情の人が面接にたくさん訪れ、また会社は以前と同じように賑わいました。
当時、休養中の歌手、宇多田ヒカルさんが、被災地へ8,000万円を寄付し、被災者支援として400ccの献血を行いました。
2011年 4月13日、仙台市では、桜(ソメイヨシノ)が平年より1日早く開花しました
私は東日本大震災後、落ち込むことが多かったのですが、桜が咲くことで辛い出来事を忘れることができました。
当時の仙台市内は、東日本大震災の影響からガソリン不足となり、車があまり走っていなかったので閑散としていました。
東日本大震災後の榴ヶ岡公園(つつじがおかこうえん)!
私と夫は鳥取県倉吉市へ引っ越す日、榴ヶ岡公園(つつじがおかこうえん)へ寄りました。
榴岡公園(つつじがおかこうえん)は仙台藩四代藩主綱村が京都から取り寄せたシダレザクラなど1,000本あまりをこの地に植えたのが始まりと言われています。
時を経て、戦後の荒廃や樹木の老衰によって木々の本数が少なくなったため、シダレザクラの名所として甦らせようという気運が高まり、植樹が行われました。
今では桜の名所として広く知られ、桜の季節になると花を楽しむ多くの人たちで賑わいを見せています。
榴岡公園(つつじがおかこうえん)は少し遅めに花が咲くシダレザクラが多いです。
ソメイヨシノやヤエザクラやヒガンザクラや薄い黄金色の花を咲かせるウコンザクラなど360本近くの桜があることから長い期間、花を楽しむことができます。
施設名 |
榴ヶ岡公園(つつじがおかこうえん) |
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住所 | 〒983-0842 宮城県仙台市宮城野区五輪1丁目 | ||
交通アクセス | (1)JR仙石線榴ヶ岡駅から徒歩で5分 (2)東北自動車道仙台宮城ICから車で20分 (3)JR仙台駅から徒歩で15分 |
東日本大震災後の榴ヶ岡天満宮(つつじがおかてんまんぐう)!
その後、私と夫は榴ヶ岡天満宮(つつじがおかてんまんぐう)へ寄りました。
仙台市の観桜地として有名な榴ヶ岡に鎮座する榴岡天満宮は、平安時代の天延2年(974)に山城国(現在の京都府)に御創建されました。
榴ヶ岡天満宮(つつじがおかてんまんぐう)では撫で牛が置かれています。
自分の身体の病んだ部分や具合の悪い部分をなでたあとに撫で牛の身体の同じ箇所をなでると悪いところが牛に移って病気が治ると言われています。
私と夫は、鳥取県倉吉市へ引っ越す日、美しい桜を見て「ホッ」とすることができました。
施設名 | |||
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住所 | 〒983-0851 宮城県仙台市宮城野区榴ケ岡105-3 | ||
電話番号 | TEL:022-256-3878 FAX:022-293-7745 |
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アクセス |
JR仙台駅から徒歩15分 東北自動車道【仙台宮城I.C.】から約20分 仙台東部道路【仙台東I.C.】から約15分 |
東日本大震は、本当に大変でしたが、美しい桜が仙台の良い思い出になりました。
株式会社東日本大震災事業者再生支援機構!
株式会社東日本大震災事業者再生支援機構は、震災の影響により事業の継続が困難となっている事業者を支援するために、国によって設立されました。
東日本大震災当時、私は仙台市内で暮らしていました。
— まゆりん@まゆまゆぱーてぃー (@mayurinponta) March 14, 2021
震災直後から被災者支援を続けて下さり本当にありがとうございます。https://t.co/7fq7ohVH92 https://t.co/2aTQ6RDWEP
Twitterで大人気の福永活也(ふくながかつや)さんは弁護士で冒険家なんです。
ななんと福永活也さんは名古屋工業大学卒業後、一般企業に就職するも2ヶ月で退社し、フリーターをしていましたが27歳で司法試験に合格し、2012年、株式会社東日本大震災事業者再生支援機構に出向しました。
復興への長い道のりを覚悟しながらも、 必死にがんばっています!
宮城県仙台市では時の経過とともに、日常を取り戻すことができている人も多い反面、まだまだ困難な状況の中、復興への長い道のりを覚悟しながらも必死にがんばっている人がたくさんいます。
私は、東日本大震災の記憶を風化させないため、防災意識を高めたいと思っています。
自然災害はもう二度と起きて欲しくありませんが、東日本大震災をきっかけに「他人事」とは思わず、万が一に備えて、今できることを始めてみたいです。
用意 |
現金、印鑑、通帳、懐中電灯、食品、水、救急箱、ライター、缶切り、ロウソク、ナイフ、衣類、手袋、哺乳瓶、インスタントラーメン、毛布、ラジオ、ヘルメット、防災ずきん、電池 |
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基本的に揃えておかなければならないものがたくさんありますが、 現金や印鑑、通帳などは、普段から家族全員で置いてある場所を共有しています。
インスタント食品や飲料水などは、賞味期限を年に数回チェックしています。
まとめ
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