まゆまゆぱーてぃー

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明治から昭和初期にかけて建築された北海道各地の建造物を54.2ヘクタールの敷地に移築復元した北海道開拓の村!

明治から昭和初期にかけて建築された北海道各地の建造物を54.2ヘクタールの敷地に移築復元した北海道開拓の村!

こんにちは。まゆりんです。

北海道開拓の村は、明治から昭和初期にかけて建築された北海道各地の建造物を、54.2ヘクタールの敷地に移築復元し、再現した野外博物館で、大きく分けると市街地群と漁村群と農村群と山村群の4つで構成されています。

 

 

 

訪れる人たちに開拓当時の生活を体感的に理解してもらい文化の流れを示す建造物を保存し、後世に永く伝えたい!

北海道開拓の村は、「訪れる人たちに開拓当時の生活を体感的に理解してもらい、文化の流れを示す建造物を保存し、後世に永く伝えたい」そんな想いから1983年4月に開村しました。  

 

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2023年4月23日(日)に私と息子と友人は3人で北海道開拓の村へ訪れましたが、私と息子は20年ぶりで、友人は開村された頃に行ったきりなため40年ぶりでした。

 

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私と息子は20年経っても北海道開拓の村のことを鮮明に覚えていましたが、友人は40年経ち、すっかり忘れてしまったようです。

 

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北海道開拓の村の入場料は大人800円で高校生・大学生は600円で、友人は幼児・小学生・65歳以上は無料です。

 

施設名 北海道開拓の村
住所

〒004-0006

北海道札幌市厚別区厚別町小野幌50−1

電話番号

011-898-2692

交通アクセス

JR新さっぽろ駅または地下鉄新さっぽろ駅からJRバス開拓の村行きに乗車し、終点の開拓の村で下車します。

営業時間

5月~9月:9時~17時

10月~4月:9時~16時30分

※最終入村は閉村の30分前まで

料金

大人:800円

高校生・大学生:600円

幼児・小学生・65歳以上:無料

村民パスポート:1,500円

北海道博物館共通年間パスポート:2,000円

 

友人は65歳以上だったので無料で入場でき、私と息子は2,000円の北海道博物館共通年間パスポートを購入して入場しました。

 

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北海道開拓の村の馬車鉄道は、2023年4月11日(火)から2023年11月30日(木)まで毎日乗車でき、乗車料金は大人(15歳以上)が250円で小人(3~14歳)が100円です。

 

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私と息子と友人は北海道開拓の村の馬車鉄道に乗り、北海道開拓の村の市街地群と農村群の間を回りました。

 

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私と息子と友人は北海道開拓の村の馬車鉄道を降りると農村群内で、絹(糸)の原料となる蚕の卵(蚕種)をとる『旧田村家北誠館蚕種製造所』へ入りました。

 

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浦臼村の養蚕伝習所教師だった田村 忠誠が当時模範とされた東京蚕業試験場の蚕室を参考に明治34年(1901)から同38年にかけて『旧田村家北誠館蚕種製造所』を建築し、蚕種の製造販売を行なうかたわら、多くの養蚕技術者を養成しました。

 

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『旧田村家北誠館蚕種製造所』とは全く場所が違いますが『あゝ野麦峠』を彷彿とさせました。

 

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あゝ野麦峠』とは山本茂実が1968年に発表したノンフィクション文学で副題は『ある製糸工女哀史』です。

 

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明治から大正にかけて貧困に苦しむ農家の10代の娘たちが製糸工場へ働きに出た話で、実際に10代の娘たちは懸命に就業し、大日本帝国の富国強兵の国策において、有力な輸出貿易品であった生糸の生産を支えました。

 

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私と息子と友人は農村群内で、農商務省の技師が北欧の建築様式をとり入れて設計した農業機械庫の『旧農商務省滝川種羊場機械庫』へ入りました。

『旧農商務省滝川種羊場機械庫』は大正中期に建築された種羊場の代表的な施設で、基礎には自然石を積み、小屋組は洋風構造のキングポスト・トラス組で、建物の正面と左右には下屋が設けられています。

 

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『旧農商務省滝川種羊場機械庫』では『北海道農業機械技術史略年表』が設置されていました。

 

 

私は『北海道農業機械技術史略年表』を動画を撮影すると心霊動画のようなものが映り込みましたが止めている金具が心霊動画に見えただけでした。

 

 

私と息子と友人は農村群内で、大正末期に札幌農学校出身の小川 三策がアメリカから取り寄せた設計図を参考に建築した『旧小川家酪農畜舎』へ入りました。

 

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『旧小川家酪農畜舎』は19世紀のアメリカで発達したバルーンフレーム構造が特徴で、軟石(溶結凝灰岩)のサイロは、昭和初期に普及した形を再現したものです。

 

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『旧小川家酪農畜舎』周辺には牛のオブジェがたくさん飾られていて、眺めているだけで癒されました。

 

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北海道開拓の村は、54.2ヘクタールの敷地に移築復元しているため、私と息子と友人は『北海道開拓の村案内図』を見ながら見学を続けました。

 

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私と息子と友人は農村群内で、『開墾小屋』とも称した移住者が最初に建てた住居『開拓小屋』へ入りました。

『開拓小屋』は、丸太を埋め立てて柱とし、桁や梁、垂木をわたし、笹や茅などで屋根や壁を葺き、出入口と窓にはムシロを下げました。

 

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屋内は一部が土間で、他は笹や枯草を重ねた上にむしろを敷いて居間とし、炉を設け、明治期を再現していました。

 

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私と息子と友人は農村群内で、南蒲原郡出身の初代菊田 常吉が買い受けて居住した『旧菊田家農家住宅』へ入りました。

 

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明治19年(1886)に新潟県長岡の有力者であった大橋 一蔵や関矢孫  左衛門などは、越後農民による北海道開拓を計画して北越殖民社を組織しました。

 

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『旧菊田家農家住宅』はその一員の新潟県魚沼郡出身者が移住直後の明治26年(1893)頃に建築しました。

 

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『旧菊田家農家住宅』の料理はとても豪華で美味しそうで、豊かな暮らしぶりを想像しました。

 

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私と息子と友人は農村群内で、富山県から移住した水田農家の『旧樋口家農家住宅』へ入りました。

『旧樋口家農家住宅』は1893年明治26年)に入植し、5年目の1898年(明治31年)にこの家を建てました。

富山出身の棟梁に建築を依頼し郷里の建築様式であるワクノウチ造りを取り入れ、材料は近くの原始林から切り出したと伝えられていて、復元に際し、同じ建築様式の山口家の解体材も使用されました。

 

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私と息子と友人は農村群内で、現在の深川市である『旧納内(おさむない)屯田兵屋』へ入りました。

納内(おさむない)に屯田兵が入地したのは、明治28年から29年で、1875年(明治8年)に始まった北海道の屯田兵は、家族とともに兵村で暮し、北辺の警備と農業開拓に従事しました。

当初は士族だけの募集でしたが、明治23年からは主力を平民に移し、空知・上川・北見地方など北方内陸部にも屯田兵村が作られていきました。

 

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私と息子と友人は農村群内で、明治・大正・昭和にかけて、荷物の搬送や郵便・宿泊などの業務を行ない、北海道の発展に大きな役割をはたした官設駅逓所『旧ソーケシュオマベツ駅』へ入りました。

『旧ソーケシュオマベツ駅』は喜茂別村と徳舜瞥村(現在の伊達市大滝)の中間地点で、明治42年(1909)から昭和9年(1934)まで営業していました。

 

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北海道開拓の村の馬車鉄道の道産子馬は2頭いて、先程乗った馬車の道産子馬は休憩していました。

 

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馬刺しになるのは食用に飼育されてきた馬で、道産子馬は霜降りが特徴的で、馬刺しにすると旨みと脂の甘みが広がります。

 

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一度食べればやみつきになる馬刺しの馬肉は冷凍処理することが義務付けられていて、まれにいる寄生虫を完全に死滅させています。

また、牛や豚よりも体温が馬はもともと雑菌が繁殖しにくい性質を持っていて、その上で高い品質の衛生管理が徹底されているので安心して生食することが可能です。

 

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馬車鉄道の道産子馬は運良く、馬刺しにならずに北海道開拓の村の馬車鉄道で働いていました。

 

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北海道開拓の村は、54.2ヘクタールの敷地に移築復元しているため、私と息子と友人は『北海道開拓の村案内図』を見ながら見学を続けました。

 

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工作体験ができる体験学習棟へ入ると昔ながらの遊具がありましたが、コロナ禍のためか子どもたちの姿はありませんでした。

 

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工作体験は小学生までなので私と息子と友人は工作体験はせず、男子の誕生を祝い、「無事に成長し、強く逞しく賢い大人になるように」との願いを込めた五月人形を眺めてから体験学習棟を後にしました。

 

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私と息子と友人は市街地群内で、大正末期から昭和33年(1958)まで岩見沢市街で営業した写真館を再現した『旧広瀬写真館』へ入りました。

 

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『旧広瀬写真館』の外観は洋風ですが、内部の多くは和風で、和洋折衷の建物で、撮影には自然光を用いたため、写場は2階に設け、北側の屋根を『シングル・スラント』と呼ばれた斜めのガラス張りとなっていました。

 

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私と息子と友人は市街地群内で、小口面と長手面を交互に表わして積むイギリス積みを用いている『旧札幌警察署南一条巡査派出所』へ入りました。

『旧札幌警察署南一条巡査派出所』とは明治44年(1911)の皇太子の行啓に向けて個人の篤志寄付で建てかえられました。

 

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私と息子と友人は市街地群内で、明治15年(1882)から米穀、雑貨、荒物などを扱ってきた商家『旧武岡商店』へ入りました。

武岡家は、旧徳島藩の家老稲田 邦植に従い明治4年(1871)に淡路島から静内郡に移住した士族移民団の一員で、町の発展にともない本格的な店舗兼住宅を新築し、明治34年(1901)には郵便局を開設するなど、この地方の商業の中心的役割を果たしました。

 

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私と息子と友人は市街地群内で、作業所と住宅からなり、木造切妻平入の構造の『旧藤原車橇製作所』へ入りました。

 

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『旧藤原車橇製作所』は明治31年(1898)、兵庫県出身の宮大工 藤原 信吉が深川に入植し、同36年(1903)には妹背牛で車橇製造を開業し、以後、3代にわたり営業を続けました。

 

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私と息子と友人は市街地群内で、明治13年(1880)に神戸において北海道開拓会社『赤心社』が設立された『旧浦河公会会堂』へ入りました。

 

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『旧浦河公会会堂』が設立された翌14年から西舎村や荻伏村に結社移民として入植し、北海道開拓会社『赤心社』の指導者の多くはキリスト教徒で、明治19年(1886)に浦河公会が組織され、17年の日曜学校兼会堂に次ぐ、2代目の礼拝集会所でした。

 

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私と息子と友人は市街地群内で、北海道神宮裏参道沿いの床屋さんとして親しまれた『旧山本理髪店』へ入りました。

 

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『旧山本理髪店』の建物は所有者が代わっても、一貫して理髪店として使用され、傾斜の急な切妻屋根や玄関の雨よけアーチなど大正期の洋風建築の特徴を残したスマートな外観は、理髪業とよくなじみました。

 

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私と息子と友人は市街地群内で、明治41年(1908)から翌年にわたって建築された本館部分である『旧北海中学校』へ入りました。

 

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『旧北海中学校』の創立は明治38年(1905)で、前身は札幌農学校第三期生らが中心となり明治18年(1885)に設立した私立北海英語学校です。
外観の意匠は、明治半ばから大正期の官庁や学校の木造建築によく見られる様式です。

 

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私と息子と友人は市街地群内で、かつて道内の代表的新聞の一つだった『旧小樽新聞社』へ入りました。

 

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小樽新聞は明治27年(1894)に創刊され、函館毎日新聞北海タイムスとともに道内の代表的新聞の一つでした。
木造の骨組に札幌近郊で産出する札幌軟石(溶結凝灰岩)を外壁に積みあげた構造で、明治期石造建築の特徴を示しています。

 

北海道開拓記念館と道立アイヌ民族文化研究センターの道立施設を統合して新たに開設された北海道博物館!

私と息子と友人は北海道開拓の村から北海道博物館(愛称:森のちゃれんが)へ移動しました。

 

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北海道博物館は1971年開館した北海道開拓記念館と1994年開所した道立アイヌ民族文化研究センターの道立施設を統合し、2015年4月に開設されました。

 

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私と息子と友人は北海道博物館の記念ホールに入るとタペストリーには北海道の四季と開拓が描かれていました。

 

施設名 北海道博物館
住所

〒004-0006

北海道札幌市厚別区厚別町小野幌53-2

電話番号

011-898-0466(総合案内)

011-898-0456(総括グループ)

交通アクセス

JR新さっぽろ駅または地下鉄新さっぽろ駅からJRバス開拓の村行きに乗車し、終点の開拓の村で下車します。

営業時間

5月~9月:9時30分~17時

10月~4月:9時30分~16時30分

※入館は閉館の30分前まで

料金

大人:600円

高校生・大学生:300円

小学生・65歳以上:無料

 

友人は65歳以上だったので無料で入場でき、私と息子は北海道博物館共通年間パスポートを提示して総合展示室へ入場しました。

 

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北海道博物館では2つの施設が築き上げてきた伝統や優れた業績を受け継ぎ、名実共に北海道を代表する総合博物館を目指しています。

 

北海道博物館

★道民と共に歩み、愛される博物館として道民参画型博物館を目指すとともに北海道の中核的博物館として地域の博物館などとの連携を図り、地域活性化に貢献しています。

★28名の学芸員と研究職員を擁する研究博物館でもあり、多様な専門的総合的研究の成果を活かして北海道の未来に貢献しています。

アイヌの歴史や有形無形の文化に関する専門的研究組織を有する世界に誇るべき総合博物館として、アイヌ文化の振興に寄与するとともに、多文化共生社会の実現に貢献しています。

★総合展示では北海道の自然と歴史と文化を物語る5つのテーマを用意し、北海道の過去と現在と未来について共に考え、語り合える場となっています。

 

北海道博物館の総合展示室『プロローグ 北と南の出会い』では、遠い昔から北海道は北東アジアの交差点で、北からはマンモスゾウ、南からはナウマンゾウがやってきたことを感じさせてくれました。

マンモスゾウは特異な形をした臼歯(きゅうし)の化石をもとに名づけられ、ケナガマンモスともよばれます。

 

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ナウマンゾウは日本の化石長鼻類研究の草分けであるナウマンに因んでナウマンゾウと呼ばれることになりました。 

 

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北海道博物館の総合展示室『第1テーマ 北海道120万年物語』では、北海道で開拓が始まり、多くの人々が移り住んだため、「歴史は浅い」という印象でしたが、徳川将軍家にラッコの毛皮をもたらした先住民族アイヌによる交易活動など歴史がつみ重ねられてきたことが分かりました。

 

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北海道博物館の総合展示室『第2テーマ アイヌ文化の世界』では、日本の先住民族アイヌは、アイヌ語で人間という意味で、アイヌ民族は北海道をはじめ、サハリン(樺太)、千島列島などを生活の舞台として、さまざまな文化をはぐくんできたことが分かりました。

 

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明治政府が北海道を日本の領土に入れ、開拓を進めるなかで、その生活や文化は大きな打撃を受けますが、人々の歩みはとだえることなく、今に繋がっていることが分かりました。

 

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この家屋は、胆振地方の白老で生まれ育った浜 弥一郎さん(1916~1991)の指導のもとに復元された昔の 住まいで、博物館の天井の高さに合わせて、少し小さめにしています。

 

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北海道博物館の総合展示室では撮影スポットも用意されていたので、私と息子と友人は記念撮影をしました。

 

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北海道博物館の総合展示室『第3テーマ 北海道らしさの秘密』では北海道ならではの景色や海や大地の恵みを活かした名産品の数々や冬の部屋の中がとてもあたたかい生活スタイルなど北海道らしさがたくさんあることが分かりました。

 

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1916(大正5)年に北海道は第一次世界大戦の好景気のなかにあり、特に農業や食料品工業の生産が 拡大しました。

 

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また、豆やでんぷんが欧米へ輸出され、豊富な石炭と木材を背景に、鉄鋼業や製紙業なども 発展しました。

 

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大正時代中ごろの冬に倶知安から小樽へ向かう列車の車内の風景で、ニシン漁場へ出稼ぎに行く人や農家 の人や職人や商人や夫婦と子ども、学生などが乗り合わせています。

列車内には石炭ストーブが置かれ、乗客たちの服装には、綿入れ、刺し子、つまごなどの伝統的な農漁村の冬の服装に加え、頭巾、角巻や二重まわし など和服形式の防寒着が見られます。

 

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北海道博物館の総合展示室『第4テーマ わたしたちの時代へ』では大きな戦争をはさんで、くらしや、社会のしくみ、自然とのかかわり方は大きく変化したことが分かりました。

 

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1950年にはミシン、1956年には電気洗濯機、1965年にはポータブルテレビ、1969年には8ミリ撮影機や映写機セットが誕生しました。

 

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北海道博物館の総合展示室『第5テーマ 生き物たちの北海道』では北海道には多様な自然環境があり、多くの生き物たちが暮らしています。

 

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その暮らしは食べたり食べられたりなど生き物同士のさまざまな繋がりで支えられていることが分かりました。

 

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川から流れてきた落ち葉は河口にたまり、ヨコエビなどの小さな生き物の食べ物となり、ヨコエビを主に食べる魚もいるため、沿岸の生き物の繋がりの一部は森によって 支えられています。

海岸にはさまざまな物が漂着し、打ち上げられた海藻はハマダンゴムシなど砂浜の小さな生き物の食べ物になり、魚やイルカ、時には クジラが漂着すれば、海辺の鳥類やキツネ、ヒグマなどに とってはごちそうです。

 

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近年のエゾシカの爆発的な増加によってエゾシカと自動車の 交通事故が増えています。列車と衝突したり、線路にシカが入りこんでダイヤが乱れたりなど、鉄道の被害も相当な回数に上ります。

 

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ミズナラの果実(どんぐり)は豊富な栄養を含んでいて、さまざまな鳥や哺乳類の大事な食べ物で、カケスやアカネズミはどんぐりを運んで溜め込む習性があります。

落葉の下などに埋めて隠し、冬に掘り出して食べますが、一部は食べられずに残され、埋めてくれたおかげで、適度な湿気のある環境で生き延び、春になって芽を出すことができます。

 

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川底で卵から生まれたサケは、春になって海に下り、遠くまで回遊しながら大きく成長し、4年から5年後にふるさとの川へ戻って産卵し、一生を終えます。

 

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川に上ったサケは ヒグマやキツネにとってはごちそうで、死んだ後も多くの 生き物に食べられ、微生物によって分解され、最終的には周囲の木々が育つ栄養にもなります。

 

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ヒトの生活の影響で生態が変わった動物も出てきて、道路脇でエサをねだるキツネの姿を見かけるようになりました。

 

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北海道博物館の総合展示室では2023年2月25日(土) から2023年5月28日(日)まで第20回企画テーマ展 『もっと!あっちこっち湿地~自然と歴史をめぐる旅~』を開催しました。

『もっと!あっちこっち湿地~自然と歴史をめぐる旅~』は、臨時休館となった2021年夏の特別展のリメイク展示です。 

 

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1階のミュージアムショップで、オリジナルグッズやお土産、博物館の出版物などを販売していました。

 

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あまり、時間が無くて、ミュージアムショップでお土産を買いませんでしたが次回は買い物を楽しみたいです。

 

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私と息子は2,000円の北海道博物館共通年間パスポートを購入したため、何度でも行ってみたいです。

 

 

 

 

開拓の村では2023年5月3日(水)から2023年5月7日(日)の5日間にゴールデンウィークイベントを開催!

私と友人は2023年5月5日(金)に北海道開拓の村ヘ行き、私は北海道博物館共通年間パスポートを提示し、友人は65歳以上だったので無料で入場できました。

私と友人は市街地群内で、1873(明治6)年10月に完成した『旧開拓使札幌本庁舎(ビジターセンター)』へ入りました。

1869(明治2)年に明治新政府は草原と林におおわれた原野であった現在の札幌を北海道の政治の中心とすることに決めました。

新しいまちづくりのなかで、役所や学校は西洋風の建築スタイルが取り入れられ、札幌中心部はアメリカ東部の都市のような雰囲気になって行きました。

そのシンボル的な建物として1873(明治6)年10月に『旧開拓使札幌本庁舎』が完成したものの、1879年に火事で焼失しました。

 

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北海道開拓の村では2023年5月3日(水)から2023年5月7日(日)の5日間にゴールデンウィークイベントを開催し、『旧開拓使札幌本庁舎(ビジターセンター)』2階では『やすひこのいろえんぴつ個展2023』を展示していました。

 

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私と友人は市街地群内で、近藤 清吉が明治33年(1900)に函館病院から古平病院に招かれ、明治35年に古平町で開業し、昭和33年(1958)まで使われた『旧近藤医院』へ入りました。

 

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木造2階建の医院棟には1階に診察室、手術室、茶の間などがあり、2階に居室があり、石造2階建の倉は、明治後期建築の文庫倉です。

 

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北海道開拓の村では2023年5月3日(水)から2023年5月7日(日)の5日間にゴールデンウィークイベントを開催し、『旧近藤医院』の横では10時から10時15分まで大道芸人ガマの油売り』の実演を15分間行いました。

 

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『旧近藤医院』の横では10時15分から10時25分まで大道芸人『昔なつかし街頭紙芝居』の実演を10分間行いました。

 

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『旧近藤医院』の横では10時25分から10時35分まで大道芸人南京玉すだれ』の実演を10分間行いました。

 

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私と友人は市街地群内を見学してから、定食だけでなく軽食やドリンクも用意されている『開拓の村食堂』へ入りました。

 

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北海道開拓の村の『開拓の村食堂』や北海道博物館の『ミュージアムカフェ』では年間パスポートを提示すると同伴者1名、合計2名まで割引されます。

 

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ただし、北海道開拓の村の『開拓の村食堂』や北海道博物館の『ミュージアムカフェ』では一部割引が適用されないメニューもあります。

 

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私は年間パスポートを提示すると私が注文した1,050円(税込)の『にしんそば』は900円(税込)になりました。

 

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私は年間パスポートを提示すると友人が注文した890円(税込)の『やん衆定食』は770円(税込)になりました。

でも、年間パスポートを提示しても220円(税込)の『北海道あずきかぼちゃ』は同じ金額だったので合計1,890円(税込)になりました。

 

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私と友人は漁村郡内で、鰊(にしん)漁家の付属施設である『旧土谷家はねだし』へ入りました。

『はねだし』とは、海岸の地形に合わせて海側へ跳ね出す形で建てられた倉を言い、正面を経なくても床の開口部を通して、直接荷物の出し入れを行うことができます。

『旧土谷家はねだし』は漁具、漁獲物、魚粕・身欠鰊・数の子などの加工品を収納するために使用されました。

 

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私と友人は市街地郡内で、明治19年(1886)頃村民の努力によって創建された浄土宗の寺『旧龍雲寺』へ入りました。

『旧龍雲寺』は明治26年(1893)頃に新築落成した本堂で、開拓期の農村の寺院建築の様式をよくあらわし、正面入口の向拝部分は大正年間に増築されたものです。

 

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北海道開拓の村の馬車鉄道は、2023年4月11日(火)から2023年11月30日(木)まで毎日乗車でき、乗車料金は大人(15歳以上)が250円で小人(3~14歳)が100円です。

 

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北海道開拓の村では2023年5月3日(水)から2023年5月7日(日)の5日間にゴールデンウィークイベントを開催していたので私と友人は北海道開拓の村の馬車鉄道を利用しないで、1軒1軒歩いて回り、さまざまなイベントに参加しました。

畳職人の実演、昔の遊びや昔のしごと道具の体験、端午の節句にちなんだ兜づくりなど実施していました。

 

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私と友人は最後に市街地郡内で、北海道開拓の村の出入口になっている『旧札幌停車場』へ行きました。

『旧札幌停車場』は明治41(1908)年に建てられ、昭和27(1952)年まで使われた札幌停車場の正面外観と形状を4/5に縮小し、管理棟として再現しました。
外観には同時期のアメリカで木造建築に用いられたスティックスタイルと呼ばれる形式が取り入れられ、下見板と棒(スティック)による模様付けが特徴です。

 

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北海道開拓の村の出入口になっている『旧札幌停車場』では『なつかし昔の玩具』や北海道のお土産などが売られていました。

 

まとめ

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