認知症と誤嚥性肺炎と脳梗塞の母を介護する糖尿病の父!
こんにちは。まゆりんです。
私は、生まれも育ちも北海道で、今でも両親は、北海道で暮らしています。
「親孝行をしたいときには親はなし」という言葉がありますが、そのとおりだと思います。
「両親の元気な顔を見ることができるのは、意外と少ない。」ということを痛感し、両親の大切さを感じています。
親元を離れて生活していると「親孝行をしたい」と思っても今後、数えるくらいしか会うことができません。
認知症と誤嚥性肺炎と脳梗塞の母を介護する糖尿病と肝臓がんの父!
私の母は、2012年9月15日(土)に自転車から転倒し大腿骨を骨折し、北海道室蘭市内の病院に入院しました。
当初、母は全治3ヶ月と言われていましたが、驚異的な回復で1ヶ月ほど経つと杖を使って歩けるようになりました。
その後、リハビリを続けましたが、高齢のせいかそれ以上は良くなりませんでした。
母は、足が不自由になってからは体調を崩し、認知症になったので、糖尿病と肝臓がんで自宅療養している父がデイサービスやケアマネジャーや看護師などに助けてもらいながら、献身的に母の介護をしました。
認知症とは、脳の働きの低下が原因となって引き起こされるさまざまな症状のことです。
その症状には、主に脳の働きの低下によって起こる症状(中核症状)と、環境や体験、気質によってあらわれる症状(周辺症状)があります。
高齢者の 目眩(めまい) |
・高齢者は内耳や前庭神経、前庭神経核、大脳皮質などの神経系が老化によって変性していきます。 ・平衡感覚の情報をうまく処理できず、めまいを起こしやすくなります。 ・年をとると血圧を調節する能力がおとろえ、血圧の変動が激しくなります。 ・脳幹や視床、大脳皮質に酸素や栄養が十分に送られなくなり、めまいを起こしやすくなります。 ・高齢者になると高血圧、糖尿病、あるいは動脈硬化症などさまざまな病気が起こってきます。 ・薬を服用するので病気や薬の副作用によるめまいも頻発してきます。 |
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認知症(にんちしょう) 中核症状 |
・ひどいもの忘れ(記憶障害)があります。 ・夕食に何を食べたのか思い出せない、昼に会った人の名前が思い出せないといったもの忘れは、歳を重ねれば多くの人が経験するものです。 ・食事をしたという体験そのものや、出かけて人に会ったという出来事自体を忘れてしまいます。 ・記憶がすっぽりと抜けているため、食べた物や会った人の名前を教えられても思い出すことができません。 ・今日の日付や今いる場所がわからなくなったり(見当識障害)、段取りよく行動することが難しくなる(実行機能障害)といった症状も出てきます。 |
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認知症(にんちしょう) 周辺症状 |
・徘徊、過食・拒食、幻覚・妄想、不潔行動などがあらわれることもあります。 ・家の外をさまよい歩いたり、お金などを誰かに盗まれたのではないかという考えにとらわれたりして周囲を困らせます。 |
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(のうこうそく) |
・脳内の血管が細くなったり、血栓ができて血管が詰まってしまい発生する症状。 ・血管が詰まると血液の流入が止まり、脳に酸素や栄養が行き渡らなくなる。 ・脳の神経細胞が壊死してしまい、さまざまな障害が生じる。 |
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誤嚥性肺炎 (ごえんせいはいえん) |
・食べ物や飲み物、あるいは唾液などを飲み込むことを嚥下(えんげ)といいます。 ・健康な人であれば、嚥下すると口から食道を通って胃に入っていきます。 ・嚥下機能が低下すると、誤嚥(ごえん)になりやすい。 ・誤嚥(ごえん)とは、食べ物などが口から気管に入ることを言います。 |
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糖尿病 |
・インスリンが十分に働かないために、血液中を流れるブドウ糖という糖(血糖)が増えてしまう病気です。 ・インスリンは膵臓から出るホルモンであり、血糖を一定の範囲におさめる働きを担っています。 ・血糖の濃度(血糖値)が何年間も高いままで放置されると、血管が傷つき、将来的に心臓病や、失明、腎不全、足の切断といった、より重い病気(糖尿病の慢性合併症)につながります。 ・著しく高い血糖は、それだけで昏睡(こんすい)などをおこすことがあります。 |
私や弟は、老々介護状態の両親が心配なので、頻繁に北海道の実家へ飛行機で通い、掃除などを手伝いました。
母は徘徊するようになり、父は疲労困憊し、北海道室蘭市内の病院へ預けました。
母は入院中に目眩を起こしたことで転倒し、脳梗塞になりました。
母は脳梗塞になってからは寝たきりになり、誤嚥性肺炎にもなりました。
成田エクスプレスが見合わせし、京成成田スカイアクセスで向かう!
私は、成田エクスプレスで、成田空港へ向かう予定でしたが、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の感染拡大防止のため、一部の成田エクスプレスの運行を見合わせていました。
そのため、私は、京成成田スカイアクセスで成田空港へ向かいました。
成田空港第1ターミナル!
東京都内では、新型コロナウイルス感染症の感染拡大防止のため、営業時間を短縮していた店舗も緊急事態宣言解除に伴い、少しずつ通常営業に戻ってきました。
でも、成田空港第1ターミナルへ行ってみると臨時休業または、営業時間の短縮をしている店舗が非常に多かったです。
でも、成田国際空港第1ターミナル中央ビル本館1階は、マリオやルイージのオブジェが展示されていたので、素敵な旅の思い出をつくることができました。
成田空港第3ターミナル!
私は、無料のターミナル連絡バスを利用し、第3ターミナルへ行ってみると、やはり、臨時休業または、営業時間の短縮をしている店舗が非常に多かったです。
私は、買ったばかりの白いサンダルを履いて、成田空港第3ターミナルを散策しましたが、「SPRING SHOP 春」が2020年4月1日から、「ATSU SUSHI」が2020年4月11日から、「Fuchsia by peach 成田空港本館店」が2020年4月18日から臨時休業をしていました。
「TGRAN SAC'S」は、2020年4月22日から、「ぼてぢゅう屋台」は、2020年4月25日から「TemporarFa-So-La BOOKS」は、2020年4月28日から臨時休業をしていました。
私は、 「ぼてぢゅう屋台」で食事をしたかったのですが、急遽、「Caffe LAT.25°」で食事することにしました。
成田空港第3ターミナルのフードコートでは、「Caffe LAT.25°」に限らず、最初にレジでオーダーと会計を済ませます。
レジ前にメニューがあるので、そこから選ぶことができます。
レジでもらった呼び出しベルが鳴ると、お渡し口へセルフで取りに向かいます。
私は、「Caffe LAT.25°」で、生ビールを飲みながら1,166円(税込)のビーフカレーを食べましたがとても美味しかったです。
私と一緒に食事した人達が食べた1,166円(税込)のカルボナーラや1,166円(税込)のナポリタンも美味しそうでした。
私は、成田空港第3ターミナルのFa-So-La TAX FREE KAGURAへ行きました。
私は、株式会社ラックランドの株主なのですが、 決算説明会でいただいたザ・メープルマニアの「メープルバタークッキー」を見つけました。
「メープルバタークッキー」は、メープルシュガーと発酵バターを生地にたっぷりと練りこみ、サクサクと軽い食感に焼き上げたクッキーです。
バターチョコレートをサンドしていて石屋製菓の白い恋人のような食感です。
私は、両親や友人へのお土産として、「メープルバタークッキー」を購入しました。
Peach・Aviation株式会社は、運休および減便!
Peach・Aviation株式会社だけに限りませんが、新型コロナウイルスの感染拡大に伴う需要の減少に鑑み、一部運航便の一部期間において運休および減便していました。
私は、搭乗⼿続きを済ませてから、保安検査場を通過しました。
成田空港 第3ターミナル 国内線 サテライト搭乗待合室のpeachショップでは、成田空港ご当地メダルの自動販売機がありました。
デザインは、3種類だったので3枚購入してみました。
Peach・Aviation株式会社だけに限りませんが、空港係員は、マスクの着用を厳守し、フェイスシールドを着用したり、カウンターにビニールシートを設置することで、飛沫感染の予防を行なっていました。
航空機は構造上、常に換気が行われ、約3分ですべての空気が入れ替わります。
機体は高性能フィルターを搭載しているため、よりクリーンな空気が客室内に供給されていました。
客室乗務員はマスクと手袋を着用し、接触を極力避けるため、機内販売を一時中止していました。
無事、新千歳空港へ到着しましたが、新型コロナウイルスの感染拡大に伴う需要の減少に鑑み、JR北海道の特別急行列車の運休が多かったです。
北海道キヨスクも新型コロナウイルス感染症の感染拡大防止のため、営業を休業していました。
北海道キヨスクの自動販売機では、札幌の人気カフェ「森彦」で知られるアトリエ・モリヒコ監修のボトル缶コーヒー「森彦の珈琲」が北海道限定で発売されていたので購入しました。
運よく、特急すずらんを利用し、幌別の実家へ帰ることができました。
両親や友人にザ・メープルマニアの「メープルバタークッキー」などのお土産を渡すと喜んで貰えました。
父は、糖尿病と肝臓がんですが少しなら甘いものを食べることができます。
父は、「東京ばな奈」が好きなので、「メープルバタークッキー」よりも東京ばな奈 ラッコ コーヒー牛乳味、「見ぃつけたっ」のほうが口に合ったようです。
まとめ
残念なことに母は、脳梗塞と誤嚥性肺炎と認知症の治療で1年以上も北海道室蘭市内の病院で入院していましたが、医師や看護師の努力の甲斐も虚しく2021年4月27日(火)午前4時14分に亡くなりました。
私は、糖尿病と肝臓がんの父親が暮らす北海道と広汎性発達障害の息子が暮らす東京と夫と義母が暮らす鳥取県の3拠点で生活をしています。
そんな私は、じゃらんnet をよく利用しています。
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